米津玄師に共感できないのに

なんだかほんとにほんとに今更のことなのだが、昨年末の紅白についてここ半年くらい考えている。ぐるぐる頭をめぐっているのは米津玄師についてだ。

 

なんというか、感動した。じーんときた。その余韻が半年たった今でも、あれは一体なんだったんだと、こんな記事を書くに至るまで膨らんでしまった。紅白を見た友達と紅白について話したりすると、軒並み揃って「米津玄師がすごい良かった」とぽろっともらしていた。ほんとうに素晴らしいパフォーマンスをしてくれて、ありがとう、という気持ちでいっぱいだ。

 

で、だ。ぐるぐる頭をめぐっていることは、米津すげー!!ってことではない。そうではなく、なぜ米津の歌に感動したのか、ということ。

 

紅白で歌われた「Lemon」は、今調べてみると、セールスとしてはDLCD合算でトリプルミリオンを達成した名曲である。でも、はっきり言ってしまえば、あの感動した「Lemon」の歌詞は、読んでいると全く共感できない。びっくりするくらい共感できない。300万もの数字を前にしては、自分の感性の方がおかしいとは思うけど(だからといって別にどうも思わないが)、やっぱり共感できない。別れた人を未練たらたらに歌っているようにしか聞こえない。別れた人をそういう目線で見ることがないので、全然共感できないのだ。そして、それはPVなんかを見ていてもやっぱり同じように感じていた。

 

なのに、ほんとうに、なのに。紅白で「Lemon」を聴いたとき、ものすごく共感してしまった。さっきも言ったように、僕は別れた人に未練を感じるような、そういう気持ちを持ち合わせていない。にもかかわらず、未練たらたらのあの歌詞にすっかり共感して、じーんときたのだ。なんということだ。なんということでしょう。なんと、紅白のあのパフォーマンスによって、自分が持つことのない感情を感動レベルにまで追体験させてくれた、ということなのだ。例えば、今歌詞を見ても、PVを見ても、やっぱり未練たらたらで共感できねーな、くらいの感想なんだけど(曲はめっちゃ良いので好きです)、録画した紅白の映像を見ると、結局じーんときちゃう。

 

そんな感情を引き出してくれた米津玄師に対して、米津すげー!!って思わずにいられない。頭をめぐっているのは、米津すげー!!ってことではないって書いたけど、でも、やっぱり米津すげー!!って話になっちゃいました。あるいは、歌ってすげー!!なのかもしれないけれど。