普通って難しい

 

普通が一番難しい。

こういう言い方、けっこうあちこちで聞きますよね。

 

普通に学校を卒業して

普通に就職して

普通に働いて

普通に結婚して

普通に子どもを育て

普通に定年を迎え

普通に老後を過ごす

 

みたいな。

なかなかそういうコースをたどれない、

たどれていたとしても本人の主観からしたら必死だ、

そういう意味で使われる「普通が一番難しい」。

 

この時の「普通」って、「平均的な」くらいの意味ですよね。

そういう意味としての「普通が一番難しい」って言葉は

割とどうでもいい、というのが正直なところです。

うだうだと続く悩みに対して「でもまあ、普通が一番難しいよね」ということで

「はい、この話、終了!」くらいの使われ方をしてるな、と思うくらいです。

 

で、なんでタイトルにそういう言葉を選んだかというと

やっぱり「普通って難しいなあ」って思ったからです。

でもそれは、決して「平均的な」という意味の「普通」ではありません。

 

ここ数年、いろんな人に仕事についてインタビューをしています。

そのインタビューをこまかにこまかに分析していくと、

彼らが「普通」にこなしているいろんなことが、

その仕事をしていない部外者である僕にとって、とてもできない!

とついつい考えてしまうような仕事上の振る舞いであることがわかります。

 

例えば、ある看護師の話。

入院病棟などで患者のケアをしていると、患者の吐瀉物やおしっこなどが

何かの拍子で自分の身体についてしまうことがあるそうです。

もし自分だったら、と考えると、他人の汚い体液が体にかかってしまったら

何度も何度もその部分を洗ってしまいそうだし、

その後もまだ「汚れてる感」みたいなのが残ってしまいそうで

とてもその手を使ってご飯とか食べられそうもありません。

が、その看護師の感覚では、手洗いのマニュアルに沿って手洗いをしたら

もうその瞬間に汚れについて忘れてしまう、とのことでした。

これって、単にマニュアルに沿った洗い方をすればいい、という話ではなく

手洗いのマニュアルに沿った洗い方をした際に

「汚れを忘れる」という感情のコントロールが同時にできる

ということです。

汚れをずっと引きずっていれば、その後の業務に差し障りがでてくる。

つまり、手洗いのマニュアルと感情を同期させて初めて

看護師という仕事が「普通」にできるようになるわけです。

もちろん、手洗いのマニュアルと感情を同期させることは

看護師が「普通」に仕事をしていくことを可能にさせる

小さな一部分にすぎません。

もっともっとたくさんのことができるようになって

始めて「普通」に仕事ができるようになるわけです。

 

当然のことですが、この「手洗いのマニュアルと感情を同期させる」ということは

その看護師には職業上必要であった、ということであって

僕の仕事に別に必要のないことです。

こういった感じで、「普通」に仕事をこなしていくのに求められる能力は

職業ごとに異なるわけです。

そして、他の職業がやってる「普通」は、

自分から見たら信じられない能力を駆使している、ということです。

もう少し正確に言うなら、同じ職業でも部署によって「普通」は違うでしょうし

同じ部署でも、担当している仕事によって「普通」は違うでしょう。

もっともっと正確に言えば、同じ仕事を担当していても

人によって「普通」に仕事をこなす経路は人それぞれいろいろあるはずで。

 

そういう風に考えていくと

「普通が難しい」というときの「普通」は

決して「平均的な」とかいうものではなくって

「個別的な」いろいろ方法を用いて達成されるもので

その「個別的な」やり方は、外から見ると信じられないような能力を駆使している

ということもけっこうあるんじゃないかと思うわけです。

 

普通が一番難しい。

そういう意味での「普通」なら、確かにそうだなあ、と

つよく、つよく、頷けます