炊きたてのご飯の湯気

 

 父が亡くなってずいぶん経つ。お盆に実家へかえったら、まず父へあいさつするのが恒例となった。父に線香をあげて、お土産を仏壇にお供えする。そういうことが当たり前にささっとできるようになった。

 

 人が死ぬってどういうことなんだろう。ぼくは父が亡くなっても、あまり実感がわかなかった。いないな、というくらいのもので、おおきな喪失感とかもなかった。でも、ときおり、父がいきていたときに言ったこと、したこと、表情なんかで印象に残っていたことがふいに脈略なくやってきて、しばらくその意味について静かにかんがえる時間がぐっと増えた。そういう風に父の死はぼくの中でゆるやかに起こっていた。今もゆるゆると続いているような気がする。

 

 そんなのんびりな死を育んでいるぼくにも、はたと父の死を実感するときがある。それは帰省のために実家にかえっていたある時のことだった。気がついたのだった、母がたびたび冷凍したご飯をチンしてあたためていることに。うちでは基本的にいつもごはんを炊いていたので、あまりごはんを冷凍しておいておくということもなかったし、なにか特別なことがなければチンしたごはんを食べるということもなかった。母にそのことを聞くと、「父さんが死んでからもしばらくは毎日ごはん炊いてたんだけどね、やっぱり食べる人が減るとぜんぶ食べきれないんよ。少しだけ炊くってのもあんまりおいしくならないし」と言っていた。その言葉を聞いたとき、ああ、これが父の死か…と、すとんと、わかったという気持ちになった。炊きたてのご飯の湯気が毎日はあがらないこと。こういう風に、父がいなくなってしまったことが母の生活のあり方を変えてしまったんだと気がついた。

 

 残された人は、誰かがいなくなってしまったことの影響を、生活の仕方の変更という形で受け入れさせられる。それも、いろんな変更を。その変更からさかのぼっていくと、故人が「いた」ということが自分にとって、あるいは家族にとって、どういうことだったのか浮き上がってくる。その浮き上がりは一度ですべて起きるわけではなく、生活のあり方が変わったことに気がつくたびに、じわり、じわり、と輪郭がぼんやりと見えてくる、そういう性質のことなのだ。

 

 今年もお盆で今日から実家にかえっている。かえるたびに気がつくことも増えていく。ぼくにとってはお盆はそういう時間なのかもしれない。ぼくにとってはそうだけど、母にとってはどうなんだろう、兄にとってはどうなんだろう。わかんないし、どう聞いていいかもいいかもわかんない。いろんな意味の時間でお盆にそっと集まって、お盆をお盆にしているんだろう。今年のお盆もやっぱり、暑い。