あなたはまたきっとこんなことをするでしょうね

 

 少しずつ、少しずつ、どういう人と仲良くやっていけばいいだろう、と考えるようになった。いろんな人と知り合っていって仲良くしていっても、どうも深い話ができないなあと思うことや、なんだかこの人とやり取りするのが少ししんどいなあ、と思うこともある。会って楽しいけれど、こちらが一方的に仲良くやっていくために頑張っているなあと思ってしまう人。向こうの気分が良いときはやり取りしてても楽しいけど、機嫌が悪いと一気に雑なラインを送ってくるような人。たくさんの人とやり取りしていると、その分だけたくさんの関係性が生まれるわけで、どの人との関係を今後も続けていきたいか、それ以上に、疲弊せず続けていけるのか。

 

 なんとなくだけど、僕がやり取りの上で大切にしていることを大切にしている人と仲良くしていきたいなあと、さいきん思う。たとえば、気分屋にならずに極力楽しい寄りに安定していたいとか、たとえば、相手と自分の自己開示はおなじくらいでありたい、つまりは、聞くからには話すし、聞かれるからにはこちらも聞き返すとか、そういうこと。

 

 でもこういう「大切にしていること」は、ある程度ことばにできているので、まだマシで、会ったときにどうしても拭えない違和感というのがある。しんしんと積もっていくような不快感が、ことばにできないからこそ、気がつかないうちにずっしりとした重さとなってバイバイのあとの疲れをうんでしまう。ことばにできないからこそ、似たような違和感をうむ別の人と、仲良くなろうとして、また失敗してしまう。

 

 「あなたはまたきっとこんなことをするでしょうね」

                      舞城王太郎『深夜百太郎 入口』p.356

 

 ほんとだよ、ほんとに何度も何度もおなじような失敗を、それも取り返しのつかないような失敗を、してしまう。ことばにできないから、くりかえすし、ことばにできても、くりかえしてしまうのかもしれない。このくりかえしくりかえし巡ってくる失敗から、少しでも遠ざかるために、どういう人と仲良くなっていけばよいかを、いや、どういう人と仲良くならなくてよいかを、見極めていけるようにならないとだな。