翌朝に届くその速さ

 

 まさかこんな日がくるとは、というような出来事がおこりました。スマホの画面のひびわれです。ふんふんひとりで町をあるいているときに、ふっと落としてしまったのです、目の荒いコンクリに。あわてて見てみると、画面のひだり端のほうがぐしゃぐしゃになっていて、よおく見てみると画面全体にもうっすらひびが。

 

 だめですね。こういうとき一人だと、どうにもうまく感情をとりあつかえない。だれかに同情してもらうわけにもいかず、だれからに笑ってもらうこともできず、特になにもなかったよ、という顔をして拾ったスマホを手に町をあるきださないといけない。動揺してても「何もなかった」をしなければいけない。何もなかった。

 

 あーあ、まだ買って1年もたってないのにな。あーあ、またアプリとか入れなおしか。あーあ、修理とかの手続きめんどくさいなあ。あーあ、あーあ、あーあ。

 

 と思っていたのですが、実際うごきだしてみると、びっくりするぐらいスピーディでした。そういう特別サービスに加入していたからなんですが、夕方にネット上で手続きして(その間5分!)、次の日の朝9時すぎには同じ機種のリフレッシュ品が届いていました。

 

 リフレッシュ品というのは、僕が使っていたものを修理に出し、それと引き換えにだれかが修理に出したものを、いろいろきちんと直して電池も入れなおして、僕の元に届くというものです。僕が使っていたものは、その後修理され電池を入れなおされ、また誰かの元へと運ばれていく。まあ、言ってみれば、僕がつかっていた機種の新しい中古が届くというもの。

 

 新しい品が、壊れた次の日の朝に届く。24時間もたっていないのに。なんとスピーディな出来事にまきこまれてしまったんだろう。その速さは、賞賛すべきものなのかもしれません。とにかく、僕はすごく助かりましたし、なにより手続きがものすごく楽でシンプルでストレスレスでした。でも、なんというか、すこし怖いな、というのが一番さいしょに感じたことでした。

 

 一体どれほどの労力が、夕方の手続きから翌日の朝イチに品を届けるためにさかれているんだろうか。このシステムを作るために、どれくらいの検討事項が議論されてきたんだろう。このシステムを維持するために、どれくらいの人が実務にあたっているんだろう。このシステムを完遂させるために、どれだけの関連業者が時間外労働に携わっているんだろう。いろんな人の努力、といえばきれいな話になるのだろうけど、いろんな人の無理が重なっているとも考えることができます。

 

 まさにそういった類の「無理」に自分が仕事として関わっているという人も多いのではないでしょうか。働く人の「無理」によって成り立つ仕事って、やっぱり不健全だよなって思います。上で書いてきたスマホの交換の驚くべきスピードに、実際どれほどの「無理」があるのかわかりません。もしかしたら全くないのかもしれません。でも、そこに「無理」があるのではないかと思いをめぐらすことは忘れたくないなと思います。そういう想像力はうしないたくないなと思います。これを普通のことだと慣れてしまいたくないと思います。そういうところに、スマホの会社や、それを支える運送業者や、それを支える交通・電力などのインフラ、それを支える社会といった、そういったものへの敬意が生まれるんじゃないかな。

 

 当たり前と敬意は、ずっとずっと遠いところにあるのかもしれない。

 

 

 

 

部屋の広さと狭さ

 

 地元は観光地なので、偉人の旧宅やアトリエの再現みたいな場所がちょこちょこある。そういう場所にいくと、なんだろう、あれ?思ったよりせまいな、という感覚が生まれてくる。旧宅や、アトリエって、基本的には何も置いていない。何も置いていないってことは空間を広く見せるはずなんだけど、なぜか狭く見えてしまう。

 

 これはどうしてなんだろう。思うに、生活がないから狭く見えるんじゃないか。そこに座ったり歩いたりしている人がいない空間、そこに整理整頓からはみ出したものがない空間、そこに暮らしている人の香りが感じられない空間、そういう空間は物理的には広いんだけど、心理的にはとてもとても狭い。

 

 そこにいる人には歴史があって、未来があって、いるだけで広がりを持っている。整理整頓できずに散らばった何かには、そうなってしまう理由がそこに生まれる。そこに暮らしている人の香りは、その人がそれまでどう生きてきたかを語っている。こういった要素のひとつひとつが物語をもっていて、必然的に時間という幅が生み出されているんだろう。そういう物語のある空間は狭くても広く感じるし、物語のない空間は広くても狭く感じる。

 

 広島平和記念資料館のことを、いまふと思い出した。ここに展示されているものは、弁当箱だったり服だったり、ひとつひとつはただの物体なのだけれど、そのひとつひとつに持ち主の物語がキャプションとして付けられていて、ひとつひとつの物体が「物体としては見ることのできない何か」として立ち現れてくる。ただの物として見れば、資料館なんてさささっと短時間で見ることができるはずなのに、それがうまくできない。空間の密度がぐぐぐぐぐぐぐっと高まっている。必然的に、とてもとても広く感じる。そういう場所なのだ。

 

 物語のない空間というのが、少し前から人気があるように思う。ミニマリスト、断捨離なんてワードが特集を組まれるほど、最低限であること、何もないこと、ごちゃごちゃしていないこと、そういったことへの憧れを持つ人たちがきっとたくさんいるんだろう。でも、そういう活動は、自分の住む生活の中からできるだけ物語を取り除くような動きに僕には見える。ひとつひとつの物には歴史があるし、未来がある。それも、ある角度から見るとこういう歴史(未来)だけど、別の角度から見るとまた違った歴史(未来)が見えてくるような、重層的な歴史と未来を担っている。そういったものを極力排除していくということは、なんというか、自分の知っている歴史と自分のわかる未来のみで空間を構成しようとしているように、僕には見えているんだろう。空間のすみずみまで自分のコントロールの影響下に置く、そういう動きに見えてしまう。

 

 でも僕は、自分ではコントロールできない何かが自分の領域にあってほしい。自分がまだ掘り起こしていない物語が自分の生活にあってほしい。

 

 そうなのか。

 

 すみずみまでコントロールの影響下に置いた空間って、今がベスト、ってことなのか。今が一番よくて、異物がはいってきたときに、ベストじゃなくなって、片付けたり、捨てたりすることで、ベストに復元する。逆に、空間にコントロールの及ばない領域があると考える場合、今はベターなんだ。ベストじゃない。まだ掘り起こしていない物語がある日突然見つかるかもしれない、そういう空間。

 

 こういうのって、どっちが良いというわけでもなく、どっちが好きか、というものなんだろうな。あるいは、どっちが(生活として)広く見えるか、みたいな感覚の違い。あるいはあるいは、世界観の違いとでも言ってしまっていいかもしれない。僕と世界観がかなり違っている人にとって、冒頭の偉人の旧宅が狭く見えるという話も、まったくぴんとこないんじゃないだろうか。そういう「僕のコントロールの影響が及ばない」領域がブログという空間にもあるというのは、なんだか部屋のように思えてくる。

 

 このブログは、どういう部屋になっていくのだろうか。

 

時代考証

 

 時代考証って難しいんだなあ。先日、仕事で金網職人さんとお話することがあって、その職人さんが時代考証について触れられていた。そこで話されていたのは、さいきん人気のある大河ドラマに一瞬だけ映った金網(魚を焼いたりするやつ)が現代風で、当時使われていたものじゃない、ということ。当時の技術ではその形にはなり得ない、みたいな話でした。

 

 映った時間はほんとうに一瞬で、ストーリーにも影響を与えないような微細な要素が、時代に合っていない。きっと金網を真剣に考えてきた職人さんだからこそ気がつけた部分で、普通の視聴者は意識にのぼってこないような、そんな要素。きっと時代劇ものは、時代に合わないこういう微細な要素がこれでもかってほど含まれているんだろう。だけれども、見ている人のほとんどは気がつかない。気にもしない、というか、できない。

 

 時代考証を担当する人は当然ついているんだろうけど、そんな微細なところまで注意がいくわけないだろうな、とも思う。だって、画面に現れる全ての要素について、専門的な知識を持っているわけではないだろうから。それに、細部にこだわればこだわるほど、制作費がどんどん膨らんでいくだろうし。じゃあ時代考証なんていらないかというと、やっぱりそうじゃない。時代劇にクーラーとか冷蔵庫とかでてきたら、もはやパロディになっちゃう。

 

 結局は、時代考証を担当する人のバランス感覚なのだろうな。お金と時間とストーリー展開を睨みながら、問題のない範囲に時代を設定していく作業。いやほんと、時代考証って難しいんだなあ。

帰省中のじぶんって

 

  お盆なので帰省している方もいらっしゃるかと思います。実家から遠く離れて住んでいると、じぶんの地元で使っていることばとは違うことばを使って、ふだん生活をしているのではないでしょうか。たぶん分かってもらえると思うのですが、地元のことばを使っているじぶんと、ふだん生活をしている場所のことばを使っているじぶんとは、どこか違う。単にことばが違う以上に、違う。

 

 ぼくの場合、まず話すスピードが変わります。地元のことばを使っているときはかなりゆっくりなスピードで話すんですが、京都(ふだん生活しているところ)ではわりと早口になっています。

 

 それから、スピードが変わることとたぶん関わってくることなのですが、話す内容が違う。スピードが変わるということは、時間あたりで伝えることの情報量が当然変わってきますから、京都にいる自分はかなり情報伝達に重きをおいた話し方をしているのかもしれません。でも、地元のことばを使っているときは、なんというか、共感重視の話し方になっているように思います。「暑いね」「どうしようもないね」「おいしいね」みたいな「ね」の使用量がぐぐぐっと増えているんじゃないかな。

 

 共感重視に関わることですが、世界の「何を見るか」がたぶんぜんぜん違う。京都にいるときと違って、自然の細部のゆらめきみたいなものに、かなり敏感になっている。実家は山のふもとにあるので、そもそも自然の変化が生活にかなり直結するからだと思うのですが、山の色や、鳥の鳴き声とか植物の緑のことなりや、雲の動きなんかに目がいってしまう。それが情報価値をもつ生活をしているのだから、それについて触れる会話が必然的に多くなります。

 

 世界の「何を見るか」と連なって、味に関する鋭さも増していることに、今回気がつきました。卵の香りやうまみのわずかな差について実感できるようになっていたんです。ほかにもいろんな食べ物の味や香りについてかなり鋭くなっているようでした。これも、それが情報価値をもつ生活をしているからで、自然の変化と生活が直結していることとまっすぐ繋がっているんだと思います。

 

 どんどんと「ことば」の領域をこえて、「人としてのあり方」の違いにまで、変化がおよんでいますね。もちろん「人としてのあり方」は話し方につながっているから、こういうことに気がついたのでしょう。実家とふだん生活をしているところでは、人が違う。

 

 でもこれって、当たり前のことといえば当たり前ですね。家にいるときと、仕事をしているときでは、人が違う。ともだちと会っているときと、職場の人と話しているときとでは、人が違う。Aさんと話しているときと、Bさんと話しているときとでは、人が違う。極論、家にいたとしても、今日と昨日では、人が違う。置かれている状況が変われば、それにあわせてじぶんが変わっていく。そういうことなんでしょうね。この「置かれている状況」をいかに細かく認識できるかが、きっと人としての豊かさに関わってくるんじゃないでしょうか。「本当のじぶん」「素のじぶん」「じぶんらしいじぶん」ということばには懐疑的なんですが、それはこういう考え方のせいなんでしょうね。

 

 まあ、でも、一瞬一瞬で人が違うみたいな話をしても仕方ない(きりがない)ので、今回は帰省中のじぶんのおはなしでした。

 

 

台所に立つ

 

 ひさしぶりに祖母の家にいった。祖母はとにかくよくしゃべる人で、ひとつ質問をなげると、いくつもいくつも答えがかえってきて、たのしい(ときおりしんどい)。祖母は大正、昭和、平成と3つの時代をくぐりぬけてきた人だ。知識欲もかなり高く、人付き合いの権化のような人なので、いろんなことを知っていて、独自の考えを持っているので話していておもしろい。そんな祖母が大好きなので、帰省したときはかならず顔を見せに、というか、顔を見にいく。

 

 祖母の人付き合いはものすごく独特だ。祖母のまわりにはいつもたべものがぐるぐるまわっている。とにかくたくさんのたべものをもらう人で、それでいて、とにかくたくさんのたべものをあげる人なのだ。あっちからもらったものの一部をこっちにわたし、そのおかえしにもらったものの一部を、こんどはそっちにわたし、という具合に、ぐるぐるぐるぐるたべものが廻っている。ぐるぐる渦巻くたべものの中心にどしっとかまえる台風の目のような存在、それが祖母だ。たべもののあげもらいをツールに、いろんなコミュニケーションがなされている。人類の経済活動の縮図を見ているようで、いつも圧倒される。富をけっして自分に集中させずに、分散させることで、強力なネットワークを作り出す。こういう人間になんとなくあこがれるので、できるだけ僕もこまごまと物をあげるようにしている。まだぎこちないこともあるのだけれど、やがて自然にできるようになりたいなあと思っている。

 

 そんな祖母と今日はなしていて印象に残ったことばがあった。年齢のせいもあってちょっと動くだけで大変、すぐに体調が悪くなる、という話の流れで「昔から体調が悪くなっても、ふしぎなもんでね、台所に立つと、しゃきっとするんよ、ほんと」といっていた。もうなんというか、すごく、わかる。僕は教育を仕事にしていて、教壇に立つことが日課なのだけれど、体調が芳しくない状況にあっても、教壇に立つとあらふしぎ、自分が体調が悪かったということを忘れているのだ。むしろ、元気になると言ってもいいような状態になるときもある。同業の人にも聞いてみても、そのように感じる人がけっこうたくさんいることがわかった。これは一体どういうことなんだろう、という疑問は、こころの奥の気になるリストにずっと置いてある。それに直結するようなことばが祖母の口からも出てきて、「ああ、おばあちゃんも同じことをふしぎに思ってたんだ」とうれしくなった。

 

 日課や仕事のように、当たり前のこととしてやること。この「当たり前のこととしてやる」ラインに一度入り込んでしまえば、それまでの日常で抱えていた不調を一旦おいておけるということなのだろう。上に書いてきた体調不良だけでなく、仕事をしている間は悩みを忘れることができる、とかいうことばも、きっとこの話に関わっている。あるいは、プロスポーツ選手たちがしばしば大切にするルーティン(ちょっとまえ、五郎丸選手のあのポーズが話題になってましたね)なんかも、おそらく関係するとおもう。人間って、日常で抱えている体調や心理状態とは別に、「当たり前のこととしてやる」ラインの体調や心理状態を瞬時に起動させることができるんだろう。違う私を今の私に呼ぶ能力、みたいなことだと言い換えられるかもしれない。この能力を研ぎ澄ませていった先に役者なんかの職業があるのかな、なんてぽわわわーんと想像をふくらませている。

 

 祖母の「台所に立つ」と、僕の「教壇に立つ」というのは、どういうわけか同じ「立つ」ということばを使っているのも実はけっこう気になっている。だけどこの話は今の段階ではうまくことばにできなさそうなので、またこころの奥の気になるリストにそっと忍ばせておこう。

 

 祖母からもらった夏休みの宿題だな、これは。 

 

 

 

炊きたてのご飯の湯気

 

 父が亡くなってずいぶん経つ。お盆に実家へかえったら、まず父へあいさつするのが恒例となった。父に線香をあげて、お土産を仏壇にお供えする。そういうことが当たり前にささっとできるようになった。

 

 人が死ぬってどういうことなんだろう。ぼくは父が亡くなっても、あまり実感がわかなかった。いないな、というくらいのもので、おおきな喪失感とかもなかった。でも、ときおり、父がいきていたときに言ったこと、したこと、表情なんかで印象に残っていたことがふいに脈略なくやってきて、しばらくその意味について静かにかんがえる時間がぐっと増えた。そういう風に父の死はぼくの中でゆるやかに起こっていた。今もゆるゆると続いているような気がする。

 

 そんなのんびりな死を育んでいるぼくにも、はたと父の死を実感するときがある。それは帰省のために実家にかえっていたある時のことだった。気がついたのだった、母がたびたび冷凍したご飯をチンしてあたためていることに。うちでは基本的にいつもごはんを炊いていたので、あまりごはんを冷凍しておいておくということもなかったし、なにか特別なことがなければチンしたごはんを食べるということもなかった。母にそのことを聞くと、「父さんが死んでからもしばらくは毎日ごはん炊いてたんだけどね、やっぱり食べる人が減るとぜんぶ食べきれないんよ。少しだけ炊くってのもあんまりおいしくならないし」と言っていた。その言葉を聞いたとき、ああ、これが父の死か…と、すとんと、わかったという気持ちになった。炊きたてのご飯の湯気が毎日はあがらないこと。こういう風に、父がいなくなってしまったことが母の生活のあり方を変えてしまったんだと気がついた。

 

 残された人は、誰かがいなくなってしまったことの影響を、生活の仕方の変更という形で受け入れさせられる。それも、いろんな変更を。その変更からさかのぼっていくと、故人が「いた」ということが自分にとって、あるいは家族にとって、どういうことだったのか浮き上がってくる。その浮き上がりは一度ですべて起きるわけではなく、生活のあり方が変わったことに気がつくたびに、じわり、じわり、と輪郭がぼんやりと見えてくる、そういう性質のことなのだ。

 

 今年もお盆で今日から実家にかえっている。かえるたびに気がつくことも増えていく。ぼくにとってはお盆はそういう時間なのかもしれない。ぼくにとってはそうだけど、母にとってはどうなんだろう、兄にとってはどうなんだろう。わかんないし、どう聞いていいかもいいかもわかんない。いろんな意味の時間でお盆にそっと集まって、お盆をお盆にしているんだろう。今年のお盆もやっぱり、暑い。

 

 

壊れると うれしい

 

 コップが割れていた。

 

 気がつかないうちに、お気にいりのコップがひっそりと割れていた。無印で買ったボデガというコップで、サイズもとっても使いやすくって、ずどんとしたすがたが可愛らしい。ほかのコップがあってもついついボデガに手がのびていた。そんなコップが割れてしまった。というか、割れていたのを発見してしまった。

 

 たぶん、洗いものをしていたときに雑にかさねてしまったんだろう。食器は雑にあつかったら割りとかんたんに壊れてしまう。こうやってときおり生活のなかに「食器が壊れた」がひょいと現れて、雑なくらしかたをしてしまいがちな僕にストップをかけてくれる。

 

 なにか失敗をするときって、けっこう雑にふるまってしまったことが原因だったりする。今回みたいな、お気に入りのなにかを壊してしまったり、仕事であったり、人間関係だったり、それはいろいろなのだけれど、ちょっとした雑さが失敗に手招きする。その度に、ちゃんとしっかり丁寧に生きないとだな、と思うのだけれど、どうしても丁寧さと雑さの波がうまれてしまい、高波のときに大きな失敗をしてしまったりする。中くらいの波からうまれた中くらいの失敗で、自分の雑さに気がつくようになっていくことが、大人になっていくことなのかもしれない。

 

 コップが割れた話だった。食器が割れたりすると、かならずあることを思い出す。それは母がいっていたことだった。あるとき、僕は今日とおなじように何かの不注意でコップを割ってしまった。そのことを母親におそるおそる伝えた。すると「わっ、うれしい!」と言ったのだった。どういうことかわからない顔をしている僕をみて「だって、これで新しい食器が買えるでしょ?」と。そのコップをずっと大切に使ってきた母親がそんなことを言うなんて、なんだか粋だなあ、と思ったのを強くおぼえている。ずっと大切にし続けていても、いつかは壊れてしまう日が来る。そのときに、ずっと大切にしてきたからこそ、その食器の良さを存分に引きだしてきた歴史があるからこそ、すっと次へと進める。

 

 この言葉があるから、大切な食器が割れてしまうというショッキングな出来事が起きたときも、いつまでも引きずらずに次の食器へと目を向けられる。その大切な食器とともにあった生活から、未だ見ぬ食器とともにある生活へと、生き方を変える節目に見えてくるから不思議だ。これまで経験したことがない生活へのわくわく。大切なものが壊れるということは、そういう意味もあるのだろう。悲しいと、切ないと、わくわくが、欠けた食器にたち現れてくる。

 

 これからしばらくは、町を歩くときコップを探しながら歩くことになるんだろう。